開業ブログ

再び料理の世界へ!

織田一志さん
再び料理の世界へ!

こんにちは。これから開業ブログに参加することになりました、織田 一志と申します。
焼肉や、故郷である青森の郷土料理を楽しんでいただける開業を目指し、現在は物件探しや飲食店開業に関するセミナーに参加しています。

ちなみに上の写真は広島の賀茂鶴酒造を訪れたときの写真です。

賀茂鶴は大好きなお酒です。

ブログ第1回となる本日は、これまでの思い出を振り返りながら私の経歴をご紹介いたします。

幼い頃から関わってきた飲食業界

両親が飲食店を経営していたので、飲食業界には幼い頃から携わっておりました。
小学生の後半からは、ピザ生地を製作。分量を計りイースト菌で発酵させた後、練り上げ、小分けしてピザ生地を完成させていました。
ハンバーグも材料を計り、手でこねて空気抜きして形成し、フライパンで焼き目を付け、オーブンで仕上げて…。最後にデミグラスソースか和風ソースで仕上げてお客様に提供させて頂きました。
ガロニも人参、インゲン、トウモロコシ、ナチュラルカットポテト、などを並べて作っておりました。

この頃から両刃の包丁も研いでいましたね。玉ねぎを刻んだりすること得意でしたから。

親父が喫茶店とクラブを経営していたので、厨房は真ん中に一つ。
クラブからはフルーツの盛り合わせが注文入ります。
その頃使われていた、コックさんがフルーツのカットが物凄く上手でした。見ているうちに自分でもカット出来るようになり、小学生卒業の頃には、自分で全てカットして飾れる様になりました。

その後は洋食の世界に入り、洋食の基本を身につけました。
パスタも奥が深いなと思いましたね。

そんな私が、地元の高級クラブが開店する際にオープン料理を任される事になりました。22歳の時でしたね。
フルーツのカットはお手の物でした。材料を見ていると、なんだかイメージが湧いてきて、楽しく働かせて頂きました。


こちらの写真は親父とのツーショット。包丁さばきは昔から自信がありました。

実家が始めた郷土料理のお店

その後、実家では旬の料理を提供する郷土料理のお店を始めました。
親父は食い道楽。普段から自宅でも自分で料理していましたから、料理に対する思いは半端なく、原価率など全く無視。そんなお店でした。

私の実家は青森県にあります。

青森と言えば「大間の鮪」が有名です。
青森県で水揚げされる大間鮪は、上物は全て築地に行ってしまいます。そのため、地元で食べるには解体した部位で買い戻さないといけませんでした。
高級なだけあって、鮪だけの一回の仕入れが50万円を超える事が当たり前の事でした。
でも、そんな鮪が到着するとワクワクしましたね〜。

築地から鮪が届く前の晩は、包丁をキッチリ研いで準備。
解体を始めて…
しっとりとした赤身、
ねっとりとした中トロ、
サラッとした大トロ…。
脂は全て削ぎ取り、スプンーで丁寧に中落ちを取り、包丁で叩き、最高のネギトロが出来ましたね。
本物の味に感動しました!

皮は湯引きしてウロコを取り除き、細く切ってポン酢と紅葉おろしで食べると最高でした。

もう一つ思い出すのは、青森県産の鮃。
活〆でしっかり血抜きされ、河豚にも負けない弾力が素晴らしい歯ごたえが持ち味です。
内臓は、味醂醤油生姜でサラッと煮付けて食べるのが最高です。

こちらは青森県産の鯛。一本釣りで釣り上げられた「一本釣り鯛」です。

とても色鮮やかで、絶品です。

そしてこちらは牛蒡のきんぴら。
この艶のよい逸品は、鉄のフライパンで作ります。

味付けには地元・青森のりんごしょうゆを使います。

鉄のフライパンで、歯ごたえを残しながらしっかり炒めて作ります。

いろいろなメニューがありましたが、実家のお店の一番の名物は「烏賊のゴロ焼き」でした。
数種類の味噌をブレンドして酒、ザラメ、柚子でじっくりベースの味噌を作り、烏賊ゴロに色んな材料を入れて、目の前でじっくり焼いて食べるのです。
最後は白米を入れて香ばしい混ぜご飯にして、ネギをふって食べるのですが、これには熱狂的なファンがいましたね!来店するお客様の8割が注文していました。
親父の友人からの「烏賊ゴロを食べたいなぁ〜」というリクエストを受けて出来た、親父オリジナルメニューでした。

他には、豆腐&こんにゃくステーキも良く売れましたね。
濃厚な味付けが得意な親父でした。
ナスやピーマンものせ、白胡麻をパッとかけて、豆腐&こんにゃくが「こんなに旨くなるのか!」と思うほど美味しくなるんですよ!
熱々の鉄板に盛り付けられ、踊りながらお客様の目の前に…。提供すると皆さん目が輝き、笑顔がこぼれていたことが今でも思い出されます。

親父と共にさらしカウンターで料理を作り、お客様に提供して来た事は忘れません。
食は人を良くする。
食事は色んな形が有ります。
私が親父としてきた仕事は、まさしくひとの笑顔にさせ、食べる喜びを与える仕事。
人を食でおもてなし、満足して頂く…。全てお客様の為でした。

その日その日のお客様の雰囲気で提案内容も変えていました。
料理の量も、価格が無い店でしたので全てこちらにお任せ。
気合いが入りましたねー!
「絶対満足させる」
「好みの物を食べて頂く」
厨房の裏には、お客様の好みがびっしり書いた虎の巻がありました。
例を挙げると、ある社長は通しはいらず、まずは明太子…など。
いかにお客様を気持ち良くするか。そして要望に全て対応する。

こんな感じで、今でも思い出に残る料理を作っておりました。

一旦離れた料理の世界

しかし、私は料理の世界から離れます。
そのきっかけは、父の死でした。

その後、始めたのはリラクセーション業です。
以前から人体の事には興味が有りましたから、料理の世界を離れてからは人を揉みほぐすことに一生懸命になりました。

青森県内では青森市、弘前市にお店を出すようになり、一時期は9店舗までになりました。その後は広島店、横浜店も出したり…。

東京にも研修なども良く来ました。
色んな料理屋にも沢山行きましたね。
料理屋に行って、お店の方が素晴らしい仕事している姿見ると、何故か涙が出るのです。
きっと、感動しているのでしょうね。自分自身が感じているのでしょう。

そんな私が最近思う事

今年で、親父が亡くなってから10年になります。
私もそろそろ料理屋を再開したいなと思い、再び料理の世界へ飛び込む決心をしました。
これから、準備をスタートいたします。
その模様は、これからこちらのブログに綴ってまいりますので、今後ともご覧いただけましたら幸いです。

この記事へ応援コメントをする(2)

みー 2019.05.27

思わず泣いてしまいました。 頑張ってくださいね。ゴロ焼き食べに行きたいなぁー

もんちゃん 2019.05.23

お父さんがご健在だった時のお店にいきたかったな、と思わせる内容ですね、是非再現してください! 開店したら伺いたいです! 頑張ってください。

記事を書いた人
織田一志さん

幼い頃から両親が経営する飲食店に携わる。その後は洋食の世界を始め、実家が経営する地元・青森の郷土料理店での料理も経験。 現在は料理の世界から離れて株式会社おはこ・ファクトリーを経営し、青森と東京を拠点にリラクセーション業を中心に展開。 ともに厨房に立っていた父親の逝去から10年。「そろそろ料理屋を再開したい」と思い、再び飲食業界に舞い戻る。 もっと読む

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