インタビュー
居抜き開業を成功させたオーナーに、成功の秘訣や開店までの裏話などを伺います。

650円という破格のランチが大人気

 東京・八丁堀。オフィスが立ち並ぶ大通りから少し入ったビル1階にある「きっちん 伊呂波」。ランチタイムともなると、周辺のオフィスワーカーが入れ替わり立ち代わり入店。中ではオーナーの阿部末子さんがお客さんに向かって「ありがとう!また今度ね!」と声掛けをかかさない。ランチタイムの行列は毎日のこと。口コミやネットでも広がって、なかなか入店できずあきらめて帰る人も多いという。

 そんな人気店を一人で仕切る阿部さん。メインのおかずにだし巻卵やポテトサラダなどの家庭的な副菜、ご飯とみそ汁がついてくる看板メニュー、お得セット定食、ハンバーグ定食が大人気。650円という、都心でも破格の値段とボリューム。ランチの値段は800円以下で提供することをかたくなに守り続けているという。

 昔は家庭的料理を出す店が多かったが、最近は減ってきている。だからこそ「家庭の味」を「お手頃な価格」で提供することにこだわり続けている。そんな阿部さんの思いがお客さんに届いているのか、常連客があとを絶たないという。

女手ひとつで切り盛り。
2度の店舗移店でも客足は途絶えず

 「とにかく自分の料理を人に食べてもらうことが幸せなの」そう語る阿部さん。もともとは経理の仕事をしていたが、人に何かを食べさせてあげたいという気持ちが強く、板前の男性と結婚。2人で神田でうなぎ店を開店して順調に経営していたものの、訳あって閉店。けれども飲食業に関わっていきたいという思いは続き、コツコツとお金を貯めて約40年前、33歳の時に東京・赤坂で一人で「きっちん 伊呂波」を開店。赤坂の店の営業は、周辺のテレビ局の常連客を中心に順風満帆。

 「赤坂の店にはそりゃ、偉い人もたくさん来てたわよ。でもうちにきたらみーんな一緒!家族のように過ごしてもらってるの」。そんな阿部さんのキャラクターに魅かれる人が後を絶たなかったが、阿部さんの気持ちの奥底には「つねに新しい場所で勝負していたい!」という熱い気持ちが。赤坂の客には何も語らず次はオフィスが立ち並ぶ宝町へ、そしてその次は現在の八丁堀へと拠点を移したのだとか。とはいえ、常連客は阿部さんの移転先を見事探し当て、ずっと来店しているという。

忙しいランチタイムから一転、
夜はお客さんとおしゃべり

 開店して8年になるという八丁堀の店は居抜きで契約。自ら棚を取り付けたりして使いやすく改良していき現在の形に。この周辺はランチタイムはオフィスワーカーが大半。どんなに忙しくても、阿部さんは冒頭の通りお客さんへの声掛けを欠かさない。それには「せっかく来てくれたのだから少しでも来てよかった、と思ってもらいたいの」そんな優しい気遣いが。

 阿部さんの気配りに応えるように、夜はランチの常連客や、単身赴任の男性がふらりと寄っていくことも。昼の忙しさとはうって変り、阿部さんに悩みを相談したり、阿部さんとお酒を交わしたりと和やかな雰囲気。そして、築地から仕入れた魚などお酒がすすむ一品料理がならぶ。「この周辺のお客さんはね、みーんないい人なの。客層がいいから女性一人で切り盛りしていても安心して仕事ができるのよ。私がバタバタしてると手伝ってくれちゃうのよ(笑)」と阿部さん。「お客さんに巻き込まれちゃダメ!お客さんを巻き込むくらいの勢いでいかなきゃ!」と語っているとおり、お客さんが阿部さんのキャラクターにすっかり惚れ込んでいる様子がよくわかる。

 営業は月曜から金曜、夜は深夜に及ぶことも。それでも土曜日にしっかり寝ると日曜日には回復。「まじめにコツコツ、手抜きは絶対しない」という通り、日曜日には一日かけて翌週の仕込みをする。奇をてらった料理ではなく、家庭的な愛情を心を込めて…そんな阿部さんのまじめでひたむきな姿勢が、この場所で8年続いた秘訣かもしれない。 70歳を過ぎてもちゃきちゃきと働く阿部さんの原動力は「私の料理を食べた人が“おいしい”って言ってくれること。好きなことやってお金になるなんて、こんな嬉しいことないじゃない!」と満面の笑み。若いころはがんを患ったこともあり、病気との闘いだったというのに、好きなことを仕事にしている今は病気ひとつしないのだとか!

次の移店先、東日本橋の開店準備も着々と

 八丁堀で8年も続いた人気店をなんと近々移店するという阿部さん。きっかけは「80歳までキッチンに立っていたいの。そう考えるともうすぐ72歳になる今が最後の挑戦だと思い立って」と。しかも、次の店は今より席数を増やすのだとか。周囲の心配をよそに「前の店ではもっと多い人数を一人でさばいてたんだから大丈夫、大丈夫」と何とも逞しい答え。

 阿部さんの新天地は東京・東日本橋。移店しても阿部さんの経営信念は変わらない。家庭的な味を手頃な価格で提供しつづけるという。そして今のメニューに加え、ハヤシライスなどのメニューも追加予定だとか。現在の店を営業しているだけで忙しいにも関わらず、次のお店のレイアウト、メニュー、内装のこと…考えると眠れないくらいワクワクするのだそう。

 新しい場所探しには自分の足で何十件もまわって決めたという。見知らぬ地での開店も「まずは近所のお客さんを大切にすることが大事。ここに来るとほっとする…って言ってもらえるような店になればね。あとは、店を出すにはとにかく度胸よ!」。年齢を超えて挑み続ける阿部さんからのメッセージだ。
(取材日:2015年11月)

阿部 末子さん
33歳のときに、家庭料理を中心とした「きっちん 伊呂波」をたった一人で赤坂にオープン。自分の家に帰ってきたようなやさしい料理の味わいと、阿部さんの気さくな人柄にファンが多数。赤坂の後、宝町、八丁堀へと移店するも口コミで噂が広がりいつも行列が絶えない人気店に。現在71歳、目標は80歳まで働き続けること。